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通称見付天神の名で知られる矢奈比賣神社は、延喜式神名帳にその名を見る古社。
【祭神】矢奈比賣命・菅原道真
【由緒】創立年月不詳なるも延喜式内社
続日本後記、承和7年6月(840)奉授
三代実録、貞観2年3月(860)詔授神階
一条天皇正暦4(993)年菅原大神勧請奉祀
慶長8年、徳川家康により神領50石が寄進
明治6年県社
【神徳】学業成就・健康守護・五穀豊穣
詳しくは矢奈比賣神社のHPで!
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見付天神裸祭は、毎年旧暦8月10日の直前の土、日曜日にかけて行われる東海道遠州見付に古くから伝わる 矢奈比賣神社 (ヤナヒメジンジャ)の大祭で、現在では重要無形民俗文化財に指定されております。
見付天神裸祭は 矢奈比賣神社 (見付天神社)の神様が、遠江国の総社である淡海国玉神社(オウミクニタマジンジャ)へ神輿に移され渡御する際に行われる祭で、渡御に先立ち裸の群衆が町中を練り歩き、拝殿で乱舞することから「裸祭」と呼ばれています。元天神社の”祭事始”から始まり、” 御斯葉おろし ”、”浜垢離”、御池の清祓”、”大祭(宵祭、神輿渡御,還御と続く裸祭のメイン)”の順に行われます。
祭の見所となるのは、裸の練りと神輿の渡御が行われる土曜日の夜21時から深夜、翌日の午前1時にかけての時間です。裸の男たちは、梯団と呼ばれる4つの集団毎に旧東海道筋・見付の域内を練り歩き、順次矢奈比賣神社の拝殿に向かいます。拝殿内では、新しい集団が加わる毎に熱気を増し、激しい練り(鬼踊り)が続けられます。深夜になって、域内の全ての灯火が消され、漆黒の闇の中を神輿の渡御が疾走致します。練りの集団は、この渡御のお供をし、総社で腰蓑納めをし各町会所へと帰ります。
翌夕、稚児行列を先頭に、前夜とは打って変わって静粛な中、神輿還御が行われます。東海道見付宿の西端から東端まで巡行し、最後には矢奈比賣神社の拝殿前で、神輿の胴上げが何十回と力尽きるまで繰り返し振り上げられ、太鼓連打の中、拝殿に納められます。
この祭は、正暦四(993)年八月十一日、菅原道真公勧請を祝った「歓喜踰躍の舞」がその始まりとされております。しかし、鎌倉時代後期、悉平太郎の怪物退治により、感謝と喜びの余り踊ったのが始まりという説もあります。また、南方渡来説などもあり、その起源については、今後の研究を待たれるところとなっております。
また、祭が今日の形態を形作るまでには、数々の変遷を経ております。この祭には、源初のヤナヒメの祭より、時代の節目を経る毎に、様々な要素を取り入れて今日に至っております。菅公勧請による歓喜踰躍の舞(正暦四(993)年八月十一日)、悉平太郎の怪物退治(延慶年間(1308))等もその一つではないでしょうか。見付は中世、国府、守護所の所在地として栄えました。国府の祭としての要素も多分に注入されているようです。そして、現在の形態になったのは江戸時代以降と言われております。、即ち、過去の一事象を捕らえて、起源を云々するほど単純ではなく、この「見付天神裸祭」には、この町の歴史だけでなく、民俗学の上にも歴史学の上にも重要な資料を秘めていると思われます。
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